Namaste、ご無沙汰です。
ニューデリー駐在になってから早2年が経過。時が過ぎ去る早さを年々痛感している今日この頃。
そんな中、ぶち抜きで14日間の休みを会社から強行取得し、冒険家の植村直己に思いをはせながら、ルクラを起点にネパールヒマラヤをエベレストBCまでトレッキングしてきました。
ルートはなだらかな登山道をひたすら歩くイメージ、気を付けなければならないのは手持ちの現金と未知数の高度、日没後の防寒対策のみ。
日々の寝床は屋根あり個室ありのロッジ(山小屋みたいなもの)、温かい食事もとれるため、特段心配するようなことはなく、景色と現地の地酒(チャン、ロキシー)を楽しみながら、仕事を完全に忘れ、絶景を肴に日中からへべれけになれる楽しい旅でした。
【日程】
2017年12月12日(火)DEL発~12月25日(月)DEL着
12月12日(火)New Delhi -> Katmandu(Flight), Stay at KTM
12月13日(水)Katmandu -> Lukla(FLight), trekking to Tok Tok
12月14日(木)Tok Tok -> Namche Bazar
12月15日(金)Namche -> Kumjun -> Namche
12月16日(土)Namche -> Deboche
12月17日(日)Deboche -> Dingboche
12月18日(月)Dingboche -> Chukhung -> Chukung Ri -> Dingboche
12月19日(火)Dingboche -> Lobche (EVK2CNR Piramid)
12月20日(水)Lobche (EVK2CNR Piramid) -> Gorak Shep
-> EBC -> Kala Patthar -> Gorak Shep
12月21日(木)Gorak Shep -> Kala Paatthar -> Deboche
12月22日(金)Debche -> Kumjun
12月23日(土)Kumjun -> Lukla
12月24日(日)Lukla -> Katmandu (Flight)
12月25日(月)Katmandu -> New Delhi (Flight)
【メンバー】
N谷+Luklaで交渉・雇ったシェルパの兄ちゃん(ポーター兼ガイド)
興味ある方は以下続きをどうぞ。
12月12日(火)
デリーからカトマンドゥ入り。
カトマンドゥ~ルクラのチケットを街中で手配。
カトマンドゥ中心街のタメル近辺の猥雑さは、デリーを狭く・もう少し汚くした印象。デリーでは日常で近い風景を日々見ているのでげんなり、旅をしている感覚なし。とっとと要件を終わらせてホテルでくつろぎたい一心。
Fuji Hotelに宿泊し、近郊の旅行会社でカトマンドゥ~ルクラ往復のチケットを購入。旅行会社によってだいぶ値段が異なり、3件ほど価格比較のために立ち寄る。
最終的に最も安価なSummit Airの往復チケット(147$だったかな?)を購入。
しかし、ホテル帰投後Summit Airをネットで調べたら、holy shit, 2017年5月にルクラ空港へ着陸する際墜落していることが判明、そして旧社名Goma Airを最近変えたばかり。そりゃ安いわな。
カトマンドゥ市内はとにかく乾燥して埃っぽく、夕方から猛烈なのどの痛みを発症、早速風邪を引いた。
12月13日(水)
Katmandu(1,500m)
→Lukla (2,840m)
→Tok Tok(2,760m)
いよいよ出発だぜ。小さな機体だが大丈夫だろう、きっと。パイロットだって家庭があり、死にたくないだろう。
私以外は旅行会社経由でガイドツアーを頼んだ人たちの模様、ガイドを従えた複数人が何組か搭乗。
え?寂しくはないのかって?
そんなことはない、植村直己の”青春に山をかけて”がザックに入っている、これで十分。
今日はルクラ泊か、ナムチェ手前までか行くか、いずれにせよナムチェの標高が高いので初日で行くつもりなし。
EBCは老若男女行くルートなので一人旅を予定していたが、諸般の事情で同行者をつけることがこの旅の必須条件に設定されてしまった。
ルクラ到着後、帰路宿泊することとしたロッジにガイドを紹介してもらい、面接&条件交渉。結果、ノリのいい23歳のあんちゃんが来て、雰囲気よさそうだったので即席のポーター兼ガイドを獲得。荷物(13kg)を持つと言われた。ラクチン、殿様トレッキング。
ちなみにこのあんちゃんは英語殆ど通じず、交渉は片言の英語を話す若い奥さんが代行、しっかりしていた。やはり女性は強い。しかし、何事も交渉事のインドで染みついた習慣がネパールでも本領発揮、オフシーズンであることも手伝って、リーズナブルな値段で妥結。
当日はTok Tok集落のロッジで宿泊することに。
12月14日(木)
Tok Tok (2,780m)
→Namche Bazar (3,440m)
ナムチェ到着。
直前の階段が少しつらかったが、ちょぼちょぼ少しづつ足を出せばなんということはない。
しかし、ナムチェにはNorth Faceの直営店やIrish Pub、Pool Barがあり、携帯電話の3Gが届いていることには驚いた。スマホで日本の家族とラインができてしまった(会社のメールアプリに100通以上の未読メール通知があったが、気づかないふり)。
なんじゃこりゃ、びっくりぽん。
12月15日(金)
Namche Bazar (3,440m)
→Khumjung (3,780m)
→Namche Bazar (3,440m)
朝日のエベレストが見れる、シェルパ博物館がある小高い丘へ。早朝の寒い中写真撮影。
しかし、今朝から頭が割れるように痛い。脈拍に合わせて頭痛がゴンゴンズキンズキン、痛い・・・昨日まで何ともなかったのに・・・これが高山病か・・・。
しかし、ここで挫けたらこの先はない、少し高度を上げて、もっとひどい状況を味わったのちにこのナムチェに戻りさえすればナムチェの頭痛は普通になるだろう、と心へ鞭打つ。
この日の朝から、デリーで買ったDiamox 250mgを12時間おきに服用。
ちなみに、デリーではこの錠剤が処方箋なしで15個Rs. 60(100円)で買えた、すなわち1錠10円未満。
明らかに安すぎるが、一応Pfizerとの刻印もある、きっと問題ないはず。
余談だが、高山病のため道中の道端でうずくまっている可哀そうな中国人に遭遇したので、広い心を持つ私は無償でDiamoxの予備を何錠か融通した。結果、奴はEBCまで行ったみたいだが、後から1錠100$で売るべきであったのではないかと後悔した。後悔先経たずとはこのことか。
この日は可能であればクムジュンまで足を延ばして一泊したかったが、その後の旅がダメになるのは避けたかったので、ナムチェ~クムジュンで昼飯~ナムチェの散策にとどめた。
ちなみにクムジュンに到着した昼頃には、膨らんだ脳みそが頭蓋骨に圧迫されているような感覚の、とてつもない頭痛に発展した。おおぅ、痛い、目から耳から鼻から脳みそが出て来そう。しかし幸いにも食欲は全く衰えず。
その後は憂鬱な気分に鞭打って、クムジュンの小高い丘にあるチョルテンまで散策し、その甲斐あってか、ナムチェに戻るころは頭痛も治まり、夜は爆睡。
12月16日(土)
Namche Bazar (3,440m)
→Tengboche (3,860m)
→Deboche (3,820m)
ナムチェからデボチェへ移動。
それにしても、景観がすごすぎる・・・タムセルク、カンテガ、アマダブラム、エベレスト、ローツェ・・・本、テレビでしか知りえなかった世界が目の前に広がっていた。
12月17日(日)
Debouche (3,820m)
→Pangboche (3,930m)
→Dingboche (4,410m)
いよいよ4,000m以上の高所へ。パンボチェ以降はさすがに空気が薄く感じるようになり始めた。
夜は、ヤクの糞のストーブを囲みながら、オーストラリアからのカップルと談笑。
12月18日(月)
Dingboche (4,410m)
→Chhukhung (4,730m)
→Chhukhung Ri (5,550m)
→Dingboche (4,410m)
高度順応の一環で、チュクンリーまで行ってローツェ、チョオユー、アイランドピークを眺めに。すげー、これがモレーンというものか、なるほど。
12月19日(火)
Dingboche (4,410m)
→Pyramid (4,970m)
今日はひたすら500mの標高差をてくてく歩く。
Pyramidは立派な施設で、部屋に充電用コンセントあり、金を払えばシャワーも浴びれるラグジュアリー施設。凄いねぇ・・・。
途中、エベレスト山群の登山で命を落とした人たちのケルンが集積している箇所あり。日本人のケルンも何個かあり。敬意を表してしばし黙祷。
12月20日(水)
Pyramid (4,970m)
→Gorak Shep (5,140m)
→Everest BC (5,364m)
→Gorak Shep (5,140m)
→Kala Patthar(5,550m)
→Gorak Shep (5,140m)
今日はついにハイライト、EBCへ向けPyramidを0530頃出発。
途中、今夜の宿があるGorak Shepに立ち寄り荷物をデポ、そのままてくてくEBCへ向け移動。
なお、ここでも体調不良の白人共を拾うためにヘリコプターがバンバン飛来。30分弱の滞在で2機来ていた。ちょっと気合が足りないんじゃねーのか?
そしてついに氷河上のEBC到着。
なるほど、これがクーンブ氷河か!
ほっほー、これがアイスフォールね、なるほどなるほど!
とにかく、圧巻。
快適なロッジが整備され、完全に商業的な雰囲気満載(金さえあれば必要なものはどの村でも大体揃う)の今なら誰でも来れるが、70年代に来た植村直己含む日本の登山隊の苦労が想像された。
EBCの後はGorak Shepに戻り、昼食後Kala Pattharの小高い丘へ。
残念ながら雲が出てきたためエベレストの写真を撮れず。
3時間粘ったものの、日没後は気温がぐんぐん下がる一方だったため、帰路につく。
う”う”~、寒い。
12月21日(木)
Gorak Shep (5,140m)
→Kala Patthar途中(5,300m)
→Gorak Shep (5,140m)
→Pheriche (4,240m)
→Pangboche (3,930m)
→Deboche (3,820m)
目的は果たせた。もう数泊して天気が好転することに掛けることは出来たが、生まれたばかりの娘の顔を見たい。もういいや、帰ろう。
そうと決まると、復路は降りるだけなので足取りは非常に軽い。
途中アルコールを解禁、ガイドのあんちゃんに、チャン飲みたい、ロキシー飲みたい、と要求したところ、道端の茶屋にチャンがあることが判明、ゴクゴク。チャンは、見た目はカルピスなるも、韓国のマッコリをさらに酸っぱくして水っぽくした様なお酒でした。久しぶりのお酒は五臓六腑に染みわたって旨い。
当日はPangpocheで一泊の予定が、Pangbocheのロッジが満室だったため、Debocheまで戻ることに。久しぶりのアルコールにも関わらず、しこたまチャンを飲んだためか、最後PangbocheからDebocheまでの3㎞はガイドのあんちゃんと共に300m毎に立ちションしながら千鳥足。
12月22日(金)
Deboche (3,820m)
→Khumjung (3,780m)
体力的には一気にルクラまで行けたが、その昔、植村直己が越冬したクムジュンで一泊したかったので、復路であえて一泊。
また、クムジュンにはガイドの兄ちゃんの親せきがロッジを営業しており、ロキシーを飲ませてくれることに。
この日は昼過ぎにロッジに到着。
植村直己が越冬したテンジン・ペンパの家に行ってみる。
残念ながらテンジン・ペンパはすでに亡くなっていたものの、おそらく近年立て替えられたのであろう家はまだ残っていた。家は借家としてテンジンヒラリー高校に通う学生さん用に貸し出している模様。息子さんたちは北米に移住しており、娘さんが近隣の村でロッジを経営しつつ、まだ存命のペンパの奥さんの面倒を見ているとのこと。
宿に戻ると、まさにロキシーを作っているじゃないか。日も落ちて涼しくなり始めたため、暖を取るがてら見学。いったいどんな酒なのか、楽しみだ。
ゴールも目前、キャッシュ残高を気にする必要もなくなったため、晩飯は豪勢にヤクステーキをたべて、ロキシーをカパカパのみながら、ヤクの糞のストーブを囲みながら、英語が話せるロッジのおっちゃんと遅くまで談笑。楽しかった。
12月23日(土)
Khumjung (3,780m)
→Lukla (2,840m)
”Takeshi, hey Takeshi wake up!”う~ん、なんだよ・・・兄ちゃんか。頭が痛い・・・げ、0600起きのはずが既に0730ではないか。しかし、今日はルクラまで行くだけ、気が楽。
朝飯を食ってうんこをしたが、うんこからロキシーの臭いがした。息も酒臭い。昨夜完全に飲みすぎた・・・しんどい。高所での二日酔いを舐めていた。
テクテク歩いてルクラへ。
ところで、シェルパの兄ちゃんの酒の飲みっぷりはすごい。
朝から途中の茶屋で”チャン飲もうぜ”と誘われたが、ロキシーが抜けきっておらず気持ち悪かったので遠慮した。
しかし、後半ルクラが近づくにつれ、ロキシーも体から抜け、ネパールラムのお湯割りを互いにおごりあいながらゴクゴク。あったまる~。
12月24日(日)
Lukla (2,840m)
→Kathmandu
飛行機が無事飛び、Kathmanduへ戻ってきてしまった。
色々あったが、楽しい旅だった。